人物紹介|その生き方を知る

中戸川吉二 1896(明治29)年~1942(昭和17)

1896(明治29)年5月20日、父・平太郎、母・サダの次男として西幣舞(現在の釧路市末広町)に生まれる。父・中戸川平太郎は釧路開祖の一人であった。その後、毎年冬を東京、夏を釧路で過ごすといった行ったり来たりの生活を送る。1905(明治38)年北海道で牧場を経営している叔父・浅吉の養子となり、釧路に渉る。同年、釧路第一日進小学校尋常三年級に転入する。

1907(明治40)年養父・浅吉が病気のために上京するが、翌年胃がんのため東京で亡くなる。5月中戸川平太郎の次男として復縁する。1909(明治42)年神田開成中学校に入学する。この年、兄・秀一と共に父を訪ね、兄弟で釧路を旅行する。1910(明治43)年8月、腸チブスにかかり危うく命を落としそうになる。翌年、体調の不良もあり落第したためきまりが悪く、逗子開成中学校に転校。そこで野村治輔と知り合い、この頃より文学書に親しむようになる。1912(大正元)年東京に戻り、小石川京北中学校に転校する。翌年明治大学に入学するが、ほとんど出席はせず、野村治輔と放蕩にふける日々を過ごす。1914(大正3)年放蕩が過ぎたため神経衰弱となり、大学を辞め父に伴われて釧路へ行き、二ヶ月間中戸川牧場で生活を送る。その後釧路の町に戻るが、しばしば自己嫌悪に陥り、春採海岸で二度泥酔の上自殺を試みるが果たせなかった。この頃、釧路の芸者お夏と恋に落ち親に結婚を懇願するが、とりあってもらえず東京に呼び戻される。

1916(大正5)年3月大島より戻る。9月里見弴に手紙を出して面会したことをきっかけに、小説家として世に立つことを心に決める。翌年3月、明治42年の釧路の旅を題材とした「兄弟とピストル泥棒」を執筆。4月里見弴の紹介で春陽堂に入り、田中純の下働きとして「新小説」の編集をするが、2ヶ月で退社。その後「団欒の前外二篇」を自費出版する。1919(大正8)年姉・美代が亡くなる。2月「犬に顔なめられる」、6月には吉二の代表作である「イボタの蟲」を発表。翌年、長編小説「反射する心」出版。4月、養父(叔父・浅吉)の十三年忌法要のため釧路へ行く。この秋小説家志望の女学生・吉田富枝と出会い交際。両家に内緒で駆け落ちするが、里見弴に連れ戻される。11月富枝と共に里見弴に絶交状を送る。1922(大正11)年「北村十吉」の連載を開始する。6月吉田富枝と結婚し、10月長男・宗一が誕生する。同月「北村十吉」の連載が終了する。

1923(大正12)年小説を書く意欲を失っていく自身をモデルとした「自嘲」を発表。11月長女・ニナが誕生するが翌日に亡くなり、同月父・平太郎も亡くなる。翌年、偶然里見弴と出会い、和解する。妻・富枝の病気のため鎌倉に移り住む。1926(大正15・昭和元)年吉二の最後の作品となる「滅びゆく人」を創作。1932(昭和7)年以降は「文藝春秋」に「文芸時評」を書いたことをきっかけに、文芸評論家として活躍する。1938(昭和13)年釧路に帰省中、脳溢血により倒れ、療養に専念するため東京へ。これが釧路との最後の別れとなる。翌年、妻・富枝が亡くなる。1942(昭和17)年11月19日、東京の巣鴨の自宅にて、再び脳溢血の発作に襲われ逝去。享年46歳。

参考文献

  • 山下武. 幻の作家たち. 冬樹社, 1991, 246p.
  • 北海道文学館編. 人生を奏でる二組のデュオ. 北海道立文学館, 2007, 48p.
  • 盛厚三. 中戸川吉二ノート. 小谷デザインプランニング, 1994, 118p.