人物紹介|その生き方を知る

原田康子 1928(昭和3)年~2009(平成21)年

1928(昭和3)年1月12日、父留五郎、母テツ、四女二男の長女として東京中野に生まれ、2歳の時に北海道釧路市川上町に移住。家は製材所を営んでいた。1940(昭和15)年釧路第四小学校(のちの旭小)卒業、1945(昭和20)年釧路市立高等女学校を卒業。幼い頃に絵本や童話に触れて本好きとなり、漱石や鴎外を好み、外国文学にも多く親しんだ。

敗戦直後の1946(昭和21)年、「北東文化」が創刊され、18歳で編集を手伝い、寄稿もしていた。1949(昭和24)年「北方文藝」で最初の創作「冬の雨」や「霧のなかの柩」を発表。「北方文藝」同人となる。東北海道新聞社に記者として入社し、サツ回り(警察担当)も経験した。釧路市役所の新聞記者室が出会いの場となり、1951(昭和26)年北海道新聞社釧路支局記者、佐々木喜男と結婚。新居は釧路市宮本町の借家だった。1952(昭和27)年「北方文藝」が廃刊し、「北海文学」創刊。1953(昭和28)年には「北海文学」同人となる。新聞記者になって三年目、東北海道新聞社退社。

「北海文学」で連載していた『挽歌』が、完結後すぐ1956(昭和31)年に東都書房から刊行されるや、空前のベストセラーとなる。また、映画化が決定し、翌年上映されヒットする(五所平之助監督)。第8回女流文学者賞を受賞。『挽歌』は「社会現象」となった。

1959(昭和34)年2月、札幌に移り住む。1967(昭和42)年北海道新聞文学賞選考委員に就任。翌年には北海道文学館理事に就任(~1997)。1976(昭和51)年『挽歌』が再び映画化される(河崎義祐監督)。1992(平成4)年、弟子屈町川湯温泉湯の川園地に「『挽歌』文学碑」建立。1998(平成10)年、(財)北海道文学館顧問となる。同年、釧路市ぬさまい公園に「『挽歌』の碑」建立。1999(平成11)年、『臘涙』で第38回女流文学賞受賞。2002(平成14)年、「北海文学」創立五十周年記念誌発行、記念祝賀会が開かれる。

2003(平成15)年『海霧』で第37回吉川英治文学賞、北海道文化賞、第57回北海道新聞文化賞を受賞。2004(平成16)年9月3日に夫佐々木喜男が82歳で死去。同年北海道の文学の普及と発展に大きく貢献したことにより、北海道功労賞を受賞。2009(平成21)年3月から入退院を繰り返し、10月20日札幌市内の病院で死去。享年83歳。